奈辺書房

不確かなこと日記。

矮小の断片

最近、悩みがあります。他人からすれば取るに足らないようなちっぽけなことです。それをここに書き殴ってみることで、一時の安定が得られればと思い筆を取った次第です。

 

まず、歪んだ自意識についてです。自分が酷く矮小な存在に思えることも、僅かな成功を稀代の偉業であるかのように思って舞い上がることも、どれもすべて自意識が強すぎることに由来します。

 

わざわざ一喜一憂する必要のないことを、いちいち大袈裟に捉えてしまい、俯瞰して物事を考えることができないのです。歪んだ主観が、見える景色をありのまま捉えることを邪魔してしまうのです。

 

そのくせ、人との関係を一歩下がって見てしまい、まるで自分だけは理解しているかのような素振りを意図せずにしてしまいます。

 

心の奥底では自分より浅慮な人を見下していて、でもそれは誰だって同じだろうと思う自分も居て、挙句の果てには自分が世界で一番間違っているように思えて仕方なくなったりもして、あまり口にすべきでないようなことを考えてしまったりもします。

 

平たく言えば、この世から消えてなくなりたいと思います。もともと存在しなかったことにして欲しいくらいですし、消えた後には誰も思いを馳せないでくれたら良いのにと願っているので、新聞やニュースには載らないようなつまらない消え方を模索しています。

 

けれども、こういう事をいう人間はそう簡単には死なないことにも自覚的です。人一倍自意識が強いので、生きていたいと思う気持ちも人より一層強いのです。理想の高さと現実との乖離が、そのようなことを思わせるのだと思います。我ながら厄介な人間だと思うのですが、どうにもならないのです。

 

 

最近、インターネットを眺めていて思うことは、街中のネオンのように煌めく幸せからまるで嘲笑されている気分になったり、筋の通った綺麗な正義からぐしゃぐしゃに押し潰されそうになる感覚があるということです。

 

そのいっぽうで、人との距離を測れない人間が他人の大切に思うことを平気で貶してみせるのは、癪に障るのです。そんな人間がどのようにすれば視界から排除されるのか、うまい手立てがないかと思案したりもします。

 

所謂SNS疲れのひとつだとは思いますが、こういったちっぽけなことひとつに頭を悩ませるのも、くだらないことだとつくづく思います。

 

こうやって煩雑で幼く偏った文章を書いているのも嫌になりますが、「いいね」と言ってくれる人の声ひとつで救われたりもします。1000個のいいねがディスプレイ上に表示されるよりも、1人から「いいね」の声が聞こえる方が、肯定で抱きしめられる感覚は強いようです。