奈辺書房

不確かなこと日記。

「わたなべ」という苗字

「わたなべ」という苗字は珍しくない。それどころか、日本の苗字界における「わたなべ」が占める割合は結構大きいらしい。

 

僕の苗字は「わたなべ」だ。渡辺なのか、渡部なのか、渡邊なのか、渡邉なのかはご想像にお任せするが、どれも皆一様に漢字を間違えられやすいという共通点がある。悲しきかな、同じ苗字同士でカニバリズムが生じているのだ。

 

そんな「わたなべ」であることでとある性格が形成されたのではないかと、ふと考えた。

 

言わずもがな、クラスの名簿では高確率で最後尾に位置する。であるからして、出席を取る時は最後に呼ばれる。整列する時も最後になることが多い。席は一番窓側の後ろになる。

 

そうなることがわかっているので、名簿から自分を探さないといけない時は、簡単に見つけることができる。だいたい一番後ろを見れば良いのだ。

 

物心ついた時から「わたなべ」として生活していると、ある感情が芽生える。

 

それは、一番はじめに呼ばれる「あべ」とか「いとう」さんに対する憧れだ。

 

彼らはいつも前の席で一番はじめに名前を呼ばれる。そして、何故かわからないが主人公感があるような気がする。例えるならば、長男と末っ子みたいな感じだろうか。

 

今回特筆して言いたかったことは、ずっと一番後ろにいると、物事を俯瞰して見る癖がつく気がする、ということだ。

 

席も列も後ろだから、周りがよく見渡せる。自分が最初にアクションを起こさなくても、誰かの真似をすればそれで事が済む。たまに、「じゃあ今日は、逆に一番後ろからいくかー」みたいな教師のお節介は冷や汗をかく。そんなサプライズを「わたなべ」は望んじゃいない。

 

思えば、「わたなべ」でテンションが底抜けに高い人と会ったことがないのはそのせいなのだろうか。僕の勘違いかもしれないけど、「わたなべ」の人って、皆すこし物憂げじゃないですか? クラスで一番目立つ人物に「わたなべ」はいない気がする。あ、でも高校の時、生徒会副会長が「わたなべ」だったな。でも、あいつにも明るさの中にドス黒い闇があった気がする。

 

やっぱり、「わたなべ」は暗い。