奈辺書房

不確かなこと日記。

捏造

自分の過去を知らない初対面の人と話を交わす時、過去になにをやってきたのかについて尋ねられるのはさして珍しいことではない。出身はどこで家族構成はどうで部活はなにをやっていて初恋はいつで大学ではなにを専攻していて、等。純粋に相手のことを知りたい、あるいは目の前にいる人物が危険ではないか確かめて安心したい、そういった思いから、過去を探り出す質問を投げかける。自分が成し遂げてきた栄光を何のためらいもなく語り始める人もいれば、「話すほどのことはありませんよ」と謙遜して自分の過去について明かそうとしない人もいる。前者がチヤホヤされることも多いが、後者の人間こそポテンシャルが高いことは肌感覚で知っている。実際のところ、誰も他人の個人の過去というコンテンツなどには関心が無いのだ。顔面がとびきりタイプの異性、経営者、芸能人、あとはなんだ、とにかく価値のある人間くらいだ、“個人の過去”におもしろみがあるのは。俺の過去にもお前の過去にも等しく価値はない。

 

俺らの過去なんて、インターネットを検索しても見つからない、Wikipediaにも載っていない。誰も知りたがらないものは、どこを探しても存在しないのだ。存在しないものを今この瞬間も必死につくっている。人はあらゆることに理由を求める。俺もそうだ。人の行動の背景には理由があるのだという前提を疑わぬまま「どうして?」「きっかけは?」とか言って、それの返答を聞いて「なるほど」とかアホみたいな相槌を打って納得したふりをする。自分がそう問いかけられた時のことを考えると、なんかそれらしく、決まりのいい理由をつくり上げてる気がしてならない。「あの時の〜がきっかけで」「誰々さんとの出会いが〜を変えた」「あのひとことがなかったら今頃」なんて言って、“おもしろい”話にしようとする。先述したが、大半の人間の過去の話には価値などないし、誰も関心がない。もし、そんなことはないと思うんだとしたら、あなたは価値のある人間だからだ。あるいは、“おもしろく”話せるんだろう、時折捏造することも厭わず。もしくは底抜けの阿呆だから黙れ。やはり個人の過去の話なんかおもしろくないんだから、なんとかしておもしろくするしかない。おもしろくない話を聞かされた方はたまったもんじゃないし、それが人としての配慮ってもんだ。ただ、もともとおもしろくない話をおもしろくするためにはひと手間加える必要がある。重要な場面でなにかがあったことにしたり、どこかを切り取って繋ぎ合わせてオチをつけたり、まったくの嘘で塗り固めたり。過去を捏造するわけだ。

 

話は少し逸れるが、「どうして文章を書くのが好きなんですか?」と聞かれたことがある。そもそも好きじゃないから理由なんかはない。他のものごとと比較すると、あまりストレスなく快楽を感じられるから、みたいな軽率な理由で金にもならないのに文章を書いたりする。たまに、誰の役にも立たない駄文を寄せ集めてWebメディアにぶん投げてお情けの対価をもらったりしてたし「もしかして文章を書くのが好きなのか?」と錯覚しかけたこともあったけど、俺はこれを本当に空虚でくだらないことだと思いながらダラダラと続けていた。最近は徐々に抜け出している。やはり、文章を書くことは好きではないのだ。第一、まるで向いていない。

 

もとはと言えば俺が悪いのだ。聞かれたことに対して気を利かせようとか要らぬおせっかいをするから、理由がないことに苦しむ。知らねえよ自分で考えろ、で終わる質問に一々そう返していたら印象が悪いし。でもさ、知らないし理由もないしきっかけも覚えてないし、あったとしても全部つまらないんだよ。つまらないものをつまらないまま話すと、つまらなそうな顔するじゃん。こいつ大したことないなって顔するじゃん。あの顔が恐いんだよ。すこしでもおもしろくしたいから捏造しちゃうんだよ。捏造してるうちに自分でもなにが本当なのかわからなくなってきたんだよ。中学生の時部活の副部長だったんだけど、バイトの面接とかで部長ってことにしてたらさ、自分でも部長だったんじゃないか?とか思い出したんだよ。ちげえだろ、副部長だよお前は。しかもお飾りの。てか、「捏造してるうちに自分でもなにが本当なのかわからなくなってきたんだよ。」ってなんだよ、生活に困ってもいない大学生バンドマンが必死に書いた歌詞にでてくる浅薄な価値観を自信満々に書くなよダサいから。

 

ここまで何を書いたのかあんまり覚えていませんが、ここに書いてあること自体が捏造なのであんまり僕を信用しないで欲しいです。待ち合わせ時間に起床しますし、約束も守りませんので信用しないでください。綺麗な写真を撮ったり、それっぽことを言ったりするので聡明な人間かと間違われることがありますが、僕はそんな人間ではないので期待しないでさっさとフォローを外してください。

 

それでは。