奈辺書房

不確かなこと日記。

ゆるす

青年は人の過ちを許したことがなかった。簡単に許してしまったら、また同じ過ちを繰り返すかもしれない。それに、傷つけられた相手の気持ちはどうなる。青年は確固たる信念を持って人の過ちを許さなかった。

 

或る日、青年は自分の身体がやけに重たいことに気がついた。背中に鈍い重たさを感じる。

 

「これは一体なんだろう」

 

そう思って背中にひっついたそいつを剥がしてみると、「○○の過ち」と記された黒くてねっとりした物体が手にこびり付いた。どうやら他人には見えないものらしい。

 

青年の背中には、これまで許さなかった他人の過ちがのしかかっていたのだ。

 

その日から青年は人が変わったように他人にやさしくなった。自分にどんな汚い言葉を浴びせられても、大切な友人を罵られても、丁寧にお手入れしていた宝物を目の前で粉々にされても、青年は顔色ひとつ変えずに許した。

 

周りの人達の間では、「そういう宗教に入信したんじゃないか」「頭がいかれちまったんじゃないか」「遂に改心したか」などと様々な噂が駆け回ったが誰も真意は判らなかった。

 

青年は人を許すことでまるで自分まで許されるような気がしていた。そのうち許すことに病みつきになって、人のすることをなんでもかんでも許していった。

 

遂に何を許してしまったのかも判らなくなってしまった青年の背中には、あの黒い物体はすっかり消えてなくなっていた。

 

「ああ、これでやっと許された!」

 

そう思ったのも束の間、青年の背中の皮膚は溶けはじめ、中からはあの時見た黒くてねっとりした物体がずるずると零れ落ちた。

 

地面に零れ落ちたそいつを眺めて膝から崩れ落ちた青年は、自分が許される方法はこれじゃなかったんだと、ようやく気づいたのだった。