奈辺書房

不確かなこと日記。

映画『怒り』を観て

今更ながら『怒り』を観た。ネタバレを多分に含むので、まだ観ておらず結末を知りたくない方は、このページを閉じていただきたい。

 

正直申し上げると、一度目は流して観ていたこともあってか、内容も登場人物の感情もよく分からなかった。だからもう一度観てみたところ、なんとなくこの映画の言わんとしていることがわかった気がしたが、相当複雑に人間の感情が交錯している映画だと思う。

 

特に、僕はこの映画の中で田中の心境に考えさせられるものがあった。

 

田中は八王子の夫婦殺害事件の犯人だ。市橋達也の事件を想起させるのだが、モチーフになっているのだろうか。

 

田中は一見すると人の良さそうなバックパッカーだが、どこか自分の感情を抑えられないところがある。突然、雇われ先の宿で客の荷物を乱暴に投げたり、暴れ回ったり。

 

彼の背景に何があるのか、劇中では一切描かれていないが、世の中に対するやり場のない憤りや、捨てきれない自分への期待のようなものを抱えているように見えた。どうしても、それらに耐えきれず何かを傷つけることで一度は冷静になれるようだ。

 

そんな行為を、少なくとも今の世間や法律は許しはしない。

 

僕たちは許されないことを、我慢する。我慢できないことは、そもそも思わないほうが良い。そうして、自然に湧き上がった感情はそもそも抱かないようになって、忘れる。我慢することに耐えられなくなった人間は社会から排除される。

 

これは僕たちが安心で平和に生活できるようにするための人類の知恵であって、動物性への忌避である。

 

僕は、忌避された動物性は愛によって救われると思っている。愛は、人間に許された唯一の動物性の隠れ蓑であって、本来それはInstagramで公開されるものでも、付き合った期間を記念のように刻むものでも、わざわざ写真に残すものでもないと思うのだ。 

 

愛は社会的ステータスとは無縁であって欲しい。

 

『怒り』を観て、そんなことをぼんやりと思った。