奈辺書房

不確かなこと日記。

午前4時、Wi-Fiが途絶えたら

たまに、深夜から朝方にかけてWi-Fiが繋がりにくくなる時がある。僕の契約しているプロパイダの原因なのか何なのかよくわからないけど。

 

YouTubeで宛もなく海外のインディーズバンドを辿ったり、Amazonプライムで映画を観て眠れない夜を耐え忍んでいる僕としては死活問題だ。一度、機会の電源を抜いて再度挿し直しても変わらない。コールセンターに問い合せてみようにも、こんな時間には営業していないのでどうしようもない。

 

こういう時は諦めて手をつけていなかった文庫にでも手を伸ばしてみる。ベッドに座って間接照明の灯りで活字をなぞる。インターネットの無い夜は余計に寂しく孤独に思えるけど、こうやってちゃんと一人になれることに嬉しく思えて浅はかな感傷に浸ったりする。

 

Wi-Fiが繋がらないと言っても、スマートフォンからLTEでインターネットには繋げる。とは言え、動画はすぐに通信料を消費してしまうから閲覧するのは動きのないタイムラインくらいだし、それは退屈で仕方ない。たまに腹を抱えて笑ってしまうくらいおもしろいアカウントを見つけて、一番下まで読んでしまって一夜をまるまる無駄にしてしまうこともある。だから結局インターネットがない夜の過ごし方は、酔わない程度のお酒と手をつけていなかった文庫と相場が決まっているのだ。

 

深夜に名文と出逢ってしまうのはほとんど事故みたいなものだと思うのだけど、そんなことがあるととてつもなく感傷的な気分になってしまう。そしてこうやって、ブログのテキスト入力画面にぶちまけてしまうのだ。これもまた無駄な夜の過ごし方の一つである。

 

大概、夜に思い立って何かをするということは、脳の冷静に物事を考える部分が狂ってしまった結果であるから、目覚めた時には恥ずかして消してしまいたくなることはわかっているのだけどどうにも止められない。

 

一つだけ言えることがあるとしたら、Wi-Fiが繋がらなくなっても、会話に混ざれない宴の席の端っこに居たとしても、独房に閉じ込められたとしても、たった一人で何か愉しむことができたら、それは孤独であっても不幸ではないのだろうなと思うのだ。