奈辺書房

不確かなこと日記。

例の件に対して言いたいことはない

アラーキーを告発した例の記事について、個人的に「言いたいこと」はない。まず、僕はアラーキーを知らない。写真集を買って読んだことがない。もちろん名前は耳にするし、どうやらすごい写真家でぶっ飛んでるらしいということくらいは知っている。

 

しかし、アラーキーがどんなスタンスで写真をやっているのか、知らないのだ。たしかに、彼女の勇気ある「告発」には目を向けるべきではあるが、僕はアラーキーを知らないのだからこれについて判断する軸や基準がない。

 

ただ、この件を受けての周りの反応にはある種の気味の悪さを感じた。その気味の悪さを解明するべく、今回の件で捉えたことを整理してみたい。

 

文章にするとうまくまとまらなくなりそうなので、箇条書きで捉えたことや感じたこと考えたことをメモ的に書いてみる。

 

・撮影にあたって写真を取り扱う契約書を交わさなかったこと

・また、それによって許可なく出版やその他の形で公に向けて発表されたこと

・私写真の最も重要なファクターはリアリティであり、契約書などのビジネスライクな関係はそれを損なう行いだということ

・のくせに、アラーキー自身は作品で地位も名誉も金銭も享受しているのでは?

・彼は女性礼賛をする人物のようであったが、例の記事を読むとどうやらそうではない言動が多くあったこと

・彼がミューズとして認めた女性に、こうして告発されたという事実

・告発文が事実であれば彼のやり方は明らかに汚く、芸術を隠れ蓑にして私欲の限りを尽くして女性を利用しているように見えること

・そんな彼はメディアに持て囃される人物であり、業界人の多くは口をつぐんでいること

・告発文は8000字以上あるようだが、そもそもシェアしている人間は本当に読んでいるのか疑問

・作品の好き嫌いと過程の物語を一緒くたにして考える人が多いこと

 

僕が捉えたのは以上のようなことだ。

 

なんにせよ、周りの反応を見ると、彼のやり方は今の時代に通用しないのだろう。奴隷制によって成り立っていた社会が存在していたように、女性の人権が蹂躙されたうえで成り立っていた芸術がある、ということなのだろうが、それはもう昭和の遺産になったということが明瞭になったように見える。

 

僕も人の写真を撮る側として思うことは多々あるが、「言いたいこと」が意見なのだしたら言いたいことはやはり無い。あまりに自分が観測できる範囲が狭い話だし、社会や業界の構造問題として捉えたとしても知らないことばかりだからだ。

 

こういった熱狂に皆が雄弁にならなくてはいけないわけではないと思う。