奈辺書房

不確かなこと日記。

自己顕示欲って、高い低いではなく外向きか内向きかの違いなのでは?

「あいつ自己顕示欲強くね?」

 

SNSに投稿される「私」に対してよく言われる愚痴である。

 

Instagramで見られる「暮らしのセンス高い私」アピール。Twitterで見られる「ギャグやネタのセンス高い私」アピール。Facebookで見られる「仕事や人間関係充実している私」アピール。

 

それぞれのSNSでアピールされる「私」を見させられている側が疲弊し飽き飽きするのも理解できる。ちなみに僕はFacebookの通知は切り、いいねをリクエストしてくる輩はフォローを外しています。Twitterは「彼さん」「恋人」等のワードでミュートしています。要らぬ苛立ちは避けたいですからね。

 

ディスプレイの中で渋滞をおこしている「自己顕示欲」との向き合い方に頭を抱えている人も多いのではないだろうか。人の自己顕示欲を見たくないとか、自分の自己顕示欲を悟られたくないとか。

 

だけども、僕はふと思った。

 

「自己顕示欲って、みんな大なり小なり持っているし、欲の強さと言うよりも表現の仕方がストレスを生んでいるんじゃないか」

 

つまり、生きている人間である以上、自分の存在を示したい自己顕示欲はある。なんなら、みんな自己顕示欲は高め。だけど、それが外に向けられるものなのか、内に向けられるものなのかで人の受け取り方がガラッと変わってしまう。

 

たとえば、自分のファッションをいろんな人に見てもらいたいという人は外向きの自己顕示欲があるとすれば、自分のファッションを控えめにして周りに協調したいという人は内向きの自己顕示欲があるんじゃないかと思っている。

 

どちらにせよ、「自分を○○な存在として認識してもらいたい」という欲が原動力となって行動や表現に推移するのではないだろうか。

 

自己顕示欲は誰もが持っている。それを処理する工程が人によって違うだけの話。強い、弱いではない。うん。だから、なに?と言われればそれまでなんだけど、そんなに躍起になって自己顕示欲に目くじら立てなさんな、と言う微かな願いである。