奈辺の日記

不確かなことを綴ります。

読書で受益できることについて

・読書で受益できること

 

①想像の起爆剤

 

ある程度の塊で文章の形を成したものには、想像の起爆剤となる要素が含まれている。

 

例えば、

「午後5時、ずっしりと重い夕焼けが街を橙色に染める」

という文章を読んだとする。すると、読者は自ずと時間帯や色、情景を自分の中で想像する。自分の頭の中にある情報を手繰り寄せて、文章が描こうとしているものに自分なりの解答を出そうとする。

 

本を読むことを情報のインプットだと思っている人は多いかもしれないが、与えられた文字列をもとに、自分の頭の中にある情報を動員して想像を働かせる動きはアウトプットだと思う。本にはそのような脳の働きを助長する役割、つまり「想像の起爆剤」があるのだと思う。

 

 

②ある内容について語る口調の習得

 

私は小説よりも新書を読むことが多いのだが、それは凡百の分野について語る口調が欲しいからなのではないかと考えている。

 

あることが文章で綴られる時、頻繁に使われるワードが存在する。街についてであれば、「閑静」であるとか「賑やか」であるとか、それを表す形容詞がある。もし、私が街のことを知らなければ「閑静」とも「賑やか」とも言い表さないかもしれない。

 

そういった、ある内容に対する口調、人の持つ癖のようなものを体に馴染ませられる効果が読書には含まれていると思う。語彙の量を闇雲に増やすだけでは、表現のグラデーションを豊かにするのは難しい。文章の塊、文脈を読むことで口調を習得できるのではないだろうか。

 

 

③孤独の深化

 

本を読む人は、深い孤独を味わう特権が与えられると思う。文章を読むという行為は、著者と読者の対話であり、情報との対話でもある。

 

先に述べたように、読書は「想像の起爆剤」となる効果があって、つまりそれは「孤独の発明」とも言い表せる。想像するということは、たった一人で無から有を思い描くことだ。そうすることで、情報は知識になり、行く行くは知恵となる。

 

想像という行為は極めて孤独だ。徹底した想像には、誰の介入も赦されない。孤独無き想像は空虚だ。

 

最近は、人間の営みの本質は、孤独からの逃亡なのではないかと考えているところなのだが、敢えて孤独を深めることで自らを痛めつけ、自己破壊を繰り返すことで知恵を獲得する振る舞いは、教養なのだろうと思う。