奈辺の日記

不確かなことを綴ります。

10/31の断片

・自己愛と純度の高い優しさ

 

僕は生まれてこの方ずっと「自己中」だと言われてきた。親からも言われたし、小学生の頃の通信簿には六年連続で「人の気持ちがわからなく自己中」である旨が書かれていた。僕の通信簿は2ちゃんねるかよ。

 

大人から否定し続けられた僕が、自分の愛し方も人の愛し方もわからないまま大人になったのは想像に難くない。

 

けれど、ぬいぐるみを大事に扱って友達のように可愛がっていたり、迷子になってしまった子猫のことを心配したり、七つ離れた妹の面倒を見たりしていた僕のことを「優しいね」と言ってくれた誰かの言葉は決して忘れない。

 

人に「自己中」だと言われて、人の愛し方がわからなくなってしまった僕だからこそ、本当に優しい人の持つ優しさには気づけるようになった。何かを想うこころそのものは間違いなく尊くて、それを認めてやれるこころは優しさなんだろう。

 

そして、世の中に溢れたおかしさを壊すことだけが絶対的な優しさであることは些か揺るがない事実だと思った。

 

・相手にされないこと

 

よく、「相手にしてくれない人のことを好きになる」という人がいる。そして、そういう人は大抵ろくでもない人生を歩む。自分のことを相手にしてくれない相手を好きになったら、大切にされることもないわけだから当たり前だ。

 

斯く言う僕もその一人だ。自分には到底手の届かない人を好きになる。それは何も恋愛対象の人とは限らないし、そもそも人とは限らない。自分にまったく向いていないものにばかり手を伸ばしてしまいがちなのだ。

 

音楽も写真も文章も、まるで向いていないのに関わり続けている。まさにストーカーのそれだ。

 

どうやら尊敬する人物は皆、そもそも人に関心が無さそうだ。人に関心のない人の視線は冷たく映る。何にも侵されないその強さは慈しむこころと似ていた。

 

本当に冷たい人は、きっと優しい顔をしている。本当に優しい人は、きっと冷たいこころをしている。