奈辺書房

不確かなこと日記。

説明できないから、好きなのかもしれない。

明け方に近い夜だけど、どうしようもない感覚の話を連々と。

 

白ほど綺麗でも黒ほど汚れてもいないけれど、曖昧というほどに無責任ではない。

 

持ち前の詰めの甘さは、淡くて儚く脆い抽象的な世界観と喩えれば一応の格好がつくが、紛れもなく今直面している事実やそれを解釈する思考、周辺に存在する客観的な世界を捉えるための現実的な視点は失いたくない。

 

幻想的というほどの儚さはないし、絶望するほど底の深さはなくて、中途半端と言えばその通りな情けないグラデーションのなかで、泳ぎ方を知らない子どもの如くもがいている。

 

社会貢献、誰かのために、人のためになりたい、そんな感情が一切ないわけではないが、優先度は極めて低い。自分を幸せにできない人は、他人の幸せをこころから願うことなんかできない。

 

知らないことを知りたい。知ったことでなにかまた別のこと知りたい。そうしたらなにかもっとすごいものが見える気がする。知ることで、今の自分を否定して全部ぶっ壊せる気がする。自己破壊の果てになにかあると信じてやまない。

 

感じたこと、抱えていること、伝えたいことを形にしたい。そして誰かに認めて欲しい。ありのままの自分を愛して欲しいなんて絵空事を描いてみたこともあったりけれど、それよりも自分の身を削りながら積み上げたものを愛してくれた方がよっぽど幸せかもしれないし、今はその方が性に合っているように感じる。

 

SNSで自慢するための交流も、一夜限りの関係も、その場しのぎのやけ酒もいらない。死後になにか偉大なものが残らなくてもいい。

 

ただ、こんな自分でもたしかに存在していることを、嘘偽りなく全身で受け止められる感覚が欲しい。

 

いつになるかわからないけれど、いつかその瞬間が訪れたら、もっと遠く深くまで行ける気がする。この感覚だけを頼りに、もうすこし歩いてみたい。

 

説明できない感覚は自分だけのものだから、焦って言葉で縛りはしたくない。説明できる言葉と出逢うまで、この感覚を胸に抱いて少々待ち草臥れようと思う。