奈辺書房

不確かなこと日記。

おもしろいこととの関わり方

昨今の世の中では、「おもしろい」ことについて純粋に向き合うことが是とされている。そもそも、何がおもしろいのかといったことを抜きにして。

 

自分がおもしろいと思うことを作り出し、他人にもおもしろいと思ってもらうことに価値を見出した人間はクリエイターにならざるを得ないのかもしれない。当然、おもしろいことを再現する過程や、それに対する評価を考えることなどに産みの苦しみが伴うので、独特の人間性が培われる。私は、そんな人達がおもしろいものに向き合う視線がたまらなく愛おしいと感じる。

 

おもしろいものは必ずしも広がらない。おもしろいと思う可能性を秘めた人に対しても届かないことが多い。それはなぜかと言えば、おもしろいものと広がるものは大きく異なるからだ。例えば、私は音楽が好きで、メジャーかマイナーかは問わず魅力的な音楽を自分の足で探して聴いている。すると、マイナーな音楽でも素晴らしく魅力的なものは多く存在するのに、広まっていないことが多い。それは、リスナー側が単純にその音楽の存在を認知していなかったり、聴き方を把握していないことが起因していると思う。

 

私は、こんな状況が悲しいと思いながらも、いかに広められるかを考えることが楽しい。それは、対象への理解を深めなければ、人には説明できないし、広め方のアプローチも見つからないからだ。見つかってしまえば、どうして広まっていないのかもわかる。

 

おもしろいことについての関わり方は、作る側だけでなく広める側で異なるが、よりおもしろくしたいという思いさえあれば、より素敵なものになると思う。